レガシーな開発チームがクラウドネイティブ開発環境にたどりつくまでの道のり 内田洋行ITソリューションズ金沢氏に聞く「はじめの一歩」を踏み出すヒントと IT 中間管理職の戦い方

» 2021年10月07日 10時00分 公開
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 従来型の開発スタイルに慣れ親しんだ企業やエンジニアが、時代のトレンドを見据えてクラウドネイティブな環境へと舵を切ろうとするというのは、今や珍しくない話だ。しかし、実際のところ今の自社のスキルやリスクを考えると“はじめの一歩”を踏み出すのは難しい。しかも現場起点でボトムアップアプローチから企業の文化や風土まで変えていくとなれば、そこに至るまでの困難は想像もつかず、とても踏み出せない――そんなふうに考えているのなら、内田洋行ITソリューションズの事例が大きなヒントになるだろう。

 同社のシステム開発本部に所属する金沢達嵩氏は、社内組織の垣根を乗り越え、クラウド時代の新しいポジションを社内に確立して、本格的なクラウドシフトを成し遂げた立役者だ。

 内田洋行ITソリューションズ システム開発本部 Advanced Technology&Product Development Center次長兼技術推進課長兼プロダクト企画課長の金沢達嵩氏を中心に、同氏を技術面からサポートし続けた日本マイクロソフト クラウドソリューションアーキテクトの服部佑樹氏を交えてその成功の秘訣を聞いた。

内田洋行ITソリューションズ システム開発本部 Advanced Technology & Product Development Center 次長 兼 技術推進課長 兼 プロダクト企画課長の金沢達嵩氏

クラウドネイティブ開発を目指したが……レガシーアプリケーションのリフトで生まれた「ひずみ」

 内田洋行はオフィスや教育機関へのファシリティ搬入から空間設計 、情報システムの開発販売を行う創業100年を超える商社だ。そのグループ会社である内田洋行ITソリューションズは、グループが提供するソフトウェア開発や保守サービスを行っている。一般的な“SIer”(システム インテグレーター)との違いは、基幹業務システム「スーパーカクテル」シリーズのような内田洋行グループが取り扱うパッケージ製品を自社で開発し、それを主軸にパッケージの販売やカスタマイズを行う事業がビジネスの大半を占めている点だ。

 このように同社の主力事業はパッケージビジネスではあるものの、SaaS 技術を活用したパッケージのモダナイズなどを 2015 年ごろからスタートしたという。「当時、クラウドネイティブという言葉が浸透していたかは定かではありませんが、少なくともクラウドを活用する方向での試みは始まっていて、事業者のクラウドサービスにこれまでやっていたシステムを載せて“クラウド化”を進めていました」と金沢氏は当時を振り返る。しかし、実際にクラウドのメリットを十分享受できていたかといえば疑問だったという。

 「クラウドを利用できたのはいいのですが、クラウドといっても、あくまで IaaS の活用にとどまっており、技術的にはデータセンターで仮想化環境を動かすのと変わりません。つまり、いままでオンプレミスで動いていたシステムを IaaS で動かしたところで、単純にシステムを遠隔地に置いたというだけで、アーキテクチャそのものも距離を意識して設計していたわけではありませんでした。そこで IaaS や仮想マシンではなく、もう少し抽象度を上げるというか、マネージドレベルの高いサービスにした上で、インフラのコストを下げながら、より開発に集中できる環境を目指したのです」(金沢氏)

 このようにクラウドネイティブを目指してスタートした試みだが、当初のアプローチではコストメリットがないだけでなく、単純に既存の運用環境をクラウドに持ち込んだことで、かえってネットワークやセキュリティの設定が複雑化するという問題に直面した。例えば、当初はクラウドに対する理解が浅いこともあり、Azure のサービス上で Azure AD という認証基盤を使わずに、独自に認証アプリケーションを作成して VPN で接続するといったような、最新のクラウドを用いながらも、アーキテクチャそのものは従来の仕組みを踏襲してしまう失敗もあった。

 開発体制の課題もある。金沢氏がもともと所属していた開発課という部署は、いわゆるウォーターフォール型の開発体制で、オンプレミス向けのクライアントサーバ型アプリケーションを開発する部署であり、設計・開発・運用が分業体制で行われ、「Excel で設計書が記述され、開発自体も Visual Basic と SQL の知識があれば事足りていた状態」(金沢氏)だったという。そのため、仮に Azure の PaaS や、Azure AD の認証基盤を使った再設計を行おうとした場合、他部署との調整が非常に困難であり、分業組織の“越境”はともすればクレームにつながりかねない状況だった。

組織の垣根を乗り越える――実績を積み上げ、社外向けのプロダクトへの足掛かりを作っていく

 一番の課題は、調整先の多さに起因する新技術対応の難しさだった。結論からいえば、クラウドシフトを進めるために金沢氏が採用した方針は、部署間の調整よりも、自分のチームで全てを開発し、少しずつ実績を積み上げていく方法だった。

 「既存のラインにない新しいプロダクトの開発案件や、管理本部からリクエストされる社内システムの開発にも積極的に手を挙げていき、既存の仕事を回しながらクラウド開発の実績を積み上げていきました。こうした案件は社内向けのものが中心なので、仮に失敗したとしても迷惑を掛ける相手は限定的です。1 回目で失敗、2 回目でそこそこ、3 回目である程度納得のいくものができるようになる。そんなことを繰り返しながら社外向けのプロダクトへの足掛かりを作っていきました」

 その結果、社内でも実績を認める声が増え、組織そのものを変えていくきっかけになっていったという。

 同氏によれば、この取り組みを始めた当初は、既存のパッケージのカスタマイズ業務を15人程度のチームで行っており、前述したようないわば“用件以外の作業”は、通常業務と変更しながらほんの数人で回していたという。

 転機が訪れたのは 2018 年。この年、全社的に Azure が開発基盤として採用され、金沢氏が率いていたチームから 5 人ほどがスピンオフして、最新技術の研究を中心とした新部署(Advanced Technology&Product Development Center)が立ち上がった。それまでの積み重ねが評価された結果だが、「これで上層部に意見が通りやすくなりましたし、クラウドシフトに対する期待も大きくなっています。現在メンバーは 16 人に増え、今も新卒採用組を中心にメンバーを拡充している段階です」と金沢氏は話す。

 「最初は Visual Basic と SQL で開発を続けてきた同じチームのメンバーであっても、『5〜6年もやっていれば伸びしろがない』というエンジニアがいる一方で、『このままでいいのだろうか』と会社の外に目が向き、Microsoft の MVP(Most Valuable Professional)を取得するようなエンジニアが一定の割合で出てきます。私のような中間管理職の役割は、そうしたメンバーがチーム内で浮かない雰囲気を醸成しつつ、習得する技術にある程度ディレクションを与えていくことだと思います。新しければ技術は何でもいいのではなく、Azure にもさまざまなサービスがあり、『ウチのチームに必要なのはこの部分』といった具合に、地道にコミュニケーションを繰り返して合意形成しつつ、新しい挑戦をしやすくすること。チームビルディングはこの点を心掛けていました」

 こうした金沢氏のチームの成果の1つが、「UC+(ユクタス)クラウドバックアップ」だ。内田洋行の社名をモチーフにした「UC+」の後にプロダクトをシリーズとして並べ、「これからクラウドのSaaSアプリケーションを“+”の部分で拡大していくという、将来に向けてのメッセージにした」と同氏は語る。ブランド名自体が今後もクラウドネイティブなアプリケーションを展開していくという意思表示だ。

 ユクタスの販売状況は可視化されており、既存の販売管理システムと連携することで、毎月の販売件数や売れ筋のプランといったデータを即座に把握できるようになっている。こうしたデータを基に営業がさらにセールスをかけやすくなっている点も特徴だ。この既存の基幹システムとの連携による販売促進と商品の組み立てもデジタルトランスフォーメーション(DX)の一環だろう。

 また、こうしたDXを後押しする要因の1つにアジャイル開発とクラウドの仕組み、特に PaaS 活用がある。IaaS ではなく、フルマネージドの PaaSのサービス群を活用することで、インフラ管理の手間なくサービスの拡大に応じシステム全体を簡単にスケールすることが可能になる。つまり、PaaS 化によるアジャイル開発体制への変革を遂げたのだ。これにより、製品としてのビジョンは大きく、ツールをモダナイズしながらテスト駆動開発、CI/CD、DevOps 等の手法を展開することで、ウォーターフォール型開発では実現できないスピードでのサービス開発や、ニーズに対しタイムリーに応えられる、価値ある形で製品を販売できるようになった。

 最初のリリースに至るまでのリードタイムは短くなり、例えば、従来のオンプレミス向けのアプリケーションパッケージの場合、計画に3〜4カ月、設計に半年でおよそ9カ月、さらに開発に1年という形でリリースまで長い月日を要していた。これがアジャイルの世界では1カ月から数カ月程度まで一気に短縮され、これにあわせて販売戦略も変化していく。

 その一方で、ウォーターフォールの時代は「開発完了がゴール」だったものが、アジャイルやSaaSの世界では常に最新のものを目指す必要があり、「リリースしてからがスタート」という状況が生まれる。そのためには、素早く高頻度に製品をリリースできる体制が必須であり、これを実現することが重要なミッションになる。

 とはいえ、金沢氏の成功体験も一足飛びでこの境地に達したわけではない。クラウドネイティブ化を目指した初期から、実際に Azure を選択して現在の開発体制を実現するまでにはスキル面でのハードルにぶつかったという。勉強のために日本マイクロソフト主催の技術イベントに参加し、40 分程度の講演を聴いて社内に持ち帰っても、現場では思ったようにいかないことは多い。こうした状況を変えてくれたのが日本マイクロソフトの服部氏だったという。

過去のイベント風景

 「服部さんが登壇していたイベントにたまたま参加して、後日連絡を取ってみたら『Azureで分からないことがありますか?』とすぐに返信をいただいて、レスポンスの早さに驚きました。『Azure AD を使ってみたい』といえば、『勉強会やハンズオンをしましょう』と提案してくださったり、非常にフットワークの軽い方で。もともと“雲の上”のような人と思っていたので、こんなふうに積極的に動いてくれたのが衝撃的でした」と金沢氏は振り返る。

 これ対して服部氏は「クラウドを始める初期段階は、やはり学習レベルやスキルの成熟度が足りていないケースは多いのですが、それよりも大切なのはモチベーションです。この“熱量”の部分は、当然人によってさまざまですが、『はじめの一歩を踏み出した』ことはとても大事で、立ち上がった方々に対してどんな支援ができるのかを常に考えていました」と当時の心境を明かす。

 チームのモチベーションをどう維持していくのか。金沢氏は「開発者向けのイベントに参加するようなメンバーは熱量も高く、このような外部から受ける刺激が重要だと感じています。勉強会をしても受け身になってしまってはうまくいかず、能動的に動く意識が重要で、外に目を向ける風土の醸成や、将来的なエンジニア像のビジョンを示していくことが求められていると思います」

勇気を持つこと、リスクをとること

日本マイクロソフト クラウドソリューションアーキテクトの服部佑樹氏

 服部氏は、クラウドシフトの最初の一歩を踏み出すためには、金沢氏のような開発チームのリーダーこそが大きな役割を担っていると指摘する。「実は上層部が壁になってうまくいかない、というケースよりも、中間管理職がボトルネックになってシフトできないケースのほうが圧倒的に多いのです。もちろん、そうさせてしまう社風や文化もあるとは思いますが、組織の中でうまく立ち回ることがミッションになってしまい、上からは『最近話題のクラウドはどうなんだ』といわれ、下からは『最新のテクノロジーに対応すべき』と突き上げられつつ、それでも組織の越境を恐れて『ウチでは無理です』と否定的な方向で調整役を演じてしまう、というのが実際かもしれません。自分の実力を過小評価して萎縮するのではなく、自分こそがこの課題を解決できる中心にいるんだという意識を持つことが大事だと思います」

 金沢氏の話で教訓となるのは、技術の習熟はさることながら、よりモチベーションの高いチーム作りをどう行っていくかという部分だ。

 「エンジニアのメンバーの中には『会社のこういうところは良くない』という愚痴が出ることもありますが、そこで終わってしまうのではなく、『それなら5年後、われわれはどういうプロダクトをリリースしているべきなのか』という未来に向けた話に発展させていくことが重要です。会社から与えられた業務をこなすだけでは、モチベーションは上がりません。5年、10年先に自社のビジネスが今のやり方で通用するのか、あるいはエンジニアとして自分たちは通用するのか。私自身、課長レベルで経営方針に関わるところまで踏み込んでいいのかという気持ちもありましたが、将来のビジョンを描き、リスクを受け止め、勇気を持ってクラウドシフトの声を上げること。服部さんもおっしゃっていたように、それこそが今、IT部門の中間管理職に求められていることなのだと思います」

 内田洋行ITソリューションズのクラウドシフトを成功に導いた金沢氏の体験が、同じ悩みを抱えるエンジニアたちのヒントになれば幸いだ。

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